infinite       loop

Satellite Of Digitalis Syndicate

最後に、時間を取り戻す。

自分がSNSについて深く知ることになったのは、あるプロジェクトでFeedリーダーのUIを担当した遥か昔のことだった。
その頃はブログのCMSとしてはまだwordpressよりもMovable Type、通称MTが主流ぐらいの頃だったろうか。
SNSというよりはその前のブログ全盛期との過渡期くらいか。

UIでモックアップ担当したFeedリーダーから離れても、Feed登録で多数の記事を読むのはしばらく続いて、最終的に今でも使っているのはFeedlyだが、そのFeedlyも近頃ではあまり開かなくなった。

誰がどんな記事を書いて投稿したか、筆者がTwitterで流しているような時代になって、固定ファンとしてでなく、多種多様な情報を拾うにはTwitterの方が楽だったり、ブログの長い記事に目を通すことが減ったりと複合要素でそうなっていった。何十年もかけて、の話だ。

そもそも新規で登録したいほどのブログ筆者に出逢わず、Feedlyの存在を忘れかけていたような今頃になって、ふっとボタンを押した。

マシンが代替わりしているので、ログイン状態も切れていた。
ブックマークバーにFeedlyがボタンが残っているのは、一重にGoogleアカウントのChromeブラウザ引き継ぎのおかげだ。そうしてFeedlyのログインをしたあと

飛び込んできた記事のタイトルが「時間を取り戻す」

maclalala2 の藤シローさんが翻訳してくれたAppleウォッチについての記事だった。

知らず深呼吸をしたような気持ちになって、あぁこの世界観が好きだ 好きだった と思い

そうか。と思いついた。藤シローさんがアカウントを持っているかも知れないと、Twitterで「藤シロー」と検索した。
当然即フォローしてまたブログの更新や、藤シローの呟きを、見たいと、読みたいと、思った時に
あまりに遅れて知った訃報だった。

お孫さんが、藤シローの孫です、と代わりにツイートをあげて祖父は亡くなりましたと、ご報告を流してくださっていた。年単位で、遅れに遅れて訃報に触れたのだ。

だから、おまえは。と胸の中で、なじり文句がでた。だから俺は、なんだけども。なじる時だけ出てくる主語を自分にしない(第三者)が僕の中にはいるらしい。
無沙汰をして義にかける俺と、それをなじる誰か。

もちろん個人的には、藤シローさんを存じ上げない。
でも藤さんのファンは圧倒的多数が同じく、そうであるまま、それでもあの世界観を愛して、深呼吸して、同じ空気を味わってきたはずだ。

僕の中の最後のイメージは、iPhone5を買った藤シローさんだった。

圧倒的な新規購買数を得た、あのiPhone6とiPhone6 Plus の発売直後に、でも自分はこっちの方が手触りが好きだ・・・だったかな、そんな目線とともに、iPhone5を買った藤さんが最後に憶えているイメージで、誰かが(シローさんらしいですね)と書いていた、その言葉まで声として、頭の中に一纏めでその世界が在る。

ポッドキャスト好きとして、あれが面白いこれが面白いというのも、影響を受けて、英語もわからないのに、自分も何か楽しめるポッドキャストを見つけようとして、四苦八苦したような記憶もある。

音と、言葉と、指先と。

目が霞んでしまったが音は聴けるので、と書いていらしたような憶えがある。
藤さんがそうしてインプットしたものは、やがて濾過されて、心地よくアウトプットされて流れてきた。

感謝。深謝。そして不義理。

この世の中には決して関わることがないのに、直接的には存じ上げていないのに、多くの人間の恩人たりえる存在がいる。

その方のブログの更新最後の記事は「Apple Watch の展示用スタンド」についてなのだ。
しかし、自分がFeedリーダーを通して見た最後を知らせる記事は、何故か、どうしてか「時間を取り戻す」だった。
今もFeedlyの画面ではそうなっている。

Twitterの画面で「藤シロー」アカウントの上に残る「訃報」を読みながら、時間を取り戻す・・・時間を取り戻す・・・というフレーズだけが木霊していた。

僕はたぶん、藤シロー氏が、時間を取り戻し、そして静かに立ち去られたのだと、そういう思考の軌道を描いていた。

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