infinite       loop

Satellite Of Digitalis Syndicate

僕らはみんな生きている

うん。あれだな、と思う。

僕らは人生が素晴らしいことを知っている。
いつ誰に教わったのかも、よくわからないのだが、いつの間にかそれぞれ、それなりに、それを知っている。

だが毎日毎日、朝起きて歯を磨くようにそれを再認識するわけでもなければ
ひしひしと虫歯のように知覚し続けるわけでもない。

だからたまには旅行などに出かけて、おぉう人生って素晴らしいぜ、とか、旅って楽しい〜ね〜 と死神リュークのように
人間っておもしろっ を感じることは、感じ直すことは、とてもとても重要なのだ。

そうそう旅にばかり出るわけにもいかないから、映画を観て、人間っておもしろっ 人生って素晴らしい
小説を読んで、辛いわぁ、人間辛いわぁ、と思いながら、でも知ってる、だけど人生が面白くも切なくも苦しくも素晴らしいのを俺ぁ知っていると
再認識に浸る時間は大切なのだ。

虫歯と同じで、苦しいことは望まなくてもすぐ痛覚が反応するし、いくらでも押し寄せる。
だから幸福感は自分から奪りにいかねば、いけないのだ。

うん。そうだな、と思う。

アレパルに勤めていた頃、昼休みを終えて店に戻ったら、久子さんという店長がクスクスクスと笑いながら僕の方へ寄って来て
「ねぇねぇ、今、億くんのお母さんが来てたのよ」と言った。

その店舗は都心部ではなく、郊外に出来たばかりの新店舗で、僕の母親が何かのついでに立ち寄るとは考えづらい立地条件に、「え?」と驚いた。うちの母ちゃん何やってんだ、と。

しかし続けてこう言われた。
「今ねぇ、何を見せても、素晴らしい・素晴らしいっていうお客さんが来ててね、億くんに見せたかったぁ」とクスクス笑っている。

あぁ・・・。

その時まで自覚してなかったのだが、僕は「エクセレント!」外人なのだ。日本人だが。
やたらとなんでもかんでも「素晴らしい。素晴らしいですね。それは素晴らしい」が口癖。
今思うに、くまのパディントンあたりの児童図書が影響しているんじゃなかろうか。

ともかくも、その素晴らしい連呼の来店者を僕の母親みたいだとたとえ、その客と僕とが向かい合って素晴らしい連呼・競争をするところを見たかったね、と皆で噂していたらしい。なるほど。

僕ぁそんなに素晴らしいばかり言ってるかなぁ、そんなに変かなぁと思ったけれど、ずっと後に猫ショーでジャッジが「レクセレント!」を言いまくるのを見て、なんだ別に普通じゃないか、外国人はみんな言ってるじゃないか、いやぁ普通ですよ、ふ・つ・う。と思い直した。
これも再認識。外に出かけて、そうそう無駄なことばかりではない。

ところで、僕は私生活の言葉がきわめて醜いので、外面はいい。チラとでも自分のふだんの言葉遣いを出すと社会人としてショッパイので、百八十度回転した完璧に近い敬語で対応する。誰にでもまず敬語。子供にも敬語。

これが案外とお子様にはウケがいい。子供はいろいろ話して教えてくれるので、それは存じ上げませんでした太郎さん、とか応えると、もっといろいろ教えてくれる。電車の色とか。ご自分は何色が好みでいらっしゃるかなどなど。楽しい。

だからこそ猫を、猫ちゃんなどという輩を見るとムムッと腹が立つ。ちゃんと、ちゃんではなく猫さんと呼びたまへよ、けしからん。というつまらぬ鬱屈も溜まる。

だがそんなことは久子さんのクスクス笑いを思い出し、人生が素晴らしいことを、深呼吸するように思い出せばなにほどでもない。

うん。奇妙な言葉づかいの変な人間で良かった。
こうして僕は、人生が素晴らしいということを、外に出るまでもなく真夜中に思い出し微笑むことができるのだから。

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