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Satellite Of Digitalis Syndicate

陰陽・対極のナルシスト

このところ、少女漫画の「謎解きパズル」のようなことをしていて、東洋思想の「陰陽対極図」の底深さにも触れ

陰・陽 (ネガ・ポジ) をベースとした捉え方は、あまりにも面白く深みに嵌まった。

最終的にその作品、くらもちふさこの「花染町シリーズ」は二作で「鏡面」になっている「対」の作品として「鏡の国のアリス」仕立てだとわかったが、「鏡面」なだけに、覗きこめば覗きこむほど、作品を離れて、自分自身の姿・本質が見えてきてしまう。

僕は碁はやらないが、読めば読むほど(ヒカルの碁で言ってた「指導碁」て、こんな事を言うんじゃなかろか・・・)となる。

おまけに謎の解き方としては「対」のカードを揃えたら、謎が一つずつ消えていくトランプの「神経衰弱」で、全体は「鏡の国」だが、中身はトランプ。
「不思議の国のアリス」の「ハートの女王」やカードの兵隊たちの要素もしっかり連想させる。物語の主要な登場人物も四人。

ただし男一人、女三人で、計4を、著者は性別でなく「陰・陽」で振り分ける。トランプの赤と黒ではなく。

それをミステリー仕立てにし
「陰」はセリフやモノローグで、嘘をつくが
「陽」は嘘をつかない

「白と黒」の対比に落とし込む。容疑者は白か黒かというミステリーの王道、アガサクリスティ小説などの作中で「誰が嘘をついているか」を見抜けば、主犯や共犯者が見えてくる、と同じ仕掛けにする。

トランプのカードは1から13(絵札のキング)までの13枚だが、13という数字を、著者は「月の数」にさらに落とし込む。
新月から満月までの「月の数」

「月の数」など僕はふだん忘れているが、荒井由実の「14番目の月」をスピッツの草野マサムネがカバーしていたので、新月が14なら、満月は13だな、くらいは思い出す。

草野マサムネ氏がつき合っていた女の子を一人、個人的によく知っているので、彼は結婚したのか、してないのか、凄く気になるんだが・・・誰か知ってたら教えてくれ。まぁもちろん別れててもいいんだけど。

・・・と「月の数」に戻って、作者は最終的には謎を解かせたいので、13という数字を強調する。白と黒の対比も。

「鏡の国のアリス」はー言葉遊びやパロディが散りばめられているーに「数字遊び」も持ち込む。(もしかしたら「鏡の国のアリス」にも「数字遊び」はあるのかも知れないが)

ヒロインに満月の暗喩を見れば、主役の名前と「対」になっていたり、パロディとして用いられた作品に気づけば「誰と結ばれた」かもわかる、言葉遊びだけでも何が起きたかわかる、と「入れ子構造」としては大変こみ入っているが、解けば解くほど爽快、しかし・・・あぁこんな簡単なシンプルなことだったのかと、してやられた感も増す。
だからもう一局・・・と挑みたくなる巧みな誘導。

長編で全8巻の方が「花に染む」で「不思議の国のアリス」のトランプに見立てた謎だらけの「神経衰弱」=「対」がテーマのミステリー要素大。
「不思議の国のアリス」と同じく暗喩・隠喩に満ちている。

本編は「駅から5分」で「鏡の国のアリス」に見立てた、「花に染む」と「鏡面」に位置する「花に染む」パロディ尽くし・・・だが「花に染む」の謎がすっかり解けないと、明るくポップな群像劇にしか見えない。しかし「花に染む」の謎がすべて解けると、せつなすぎる悲恋の純愛ラブストーリーに鮮やかに変身する。

「不思議の国のアリス」は、子供がその先にある人生を、生きていくための知恵を授ける「暗喩に満ちた」物語と言われる。
そこまでは知っていたが、続編で「対」の「鏡の国のアリス」は、人生を生き抜く知恵を授けたあとで、もっと深く自分を見つめさせる物語だったのか、だから「鏡」か、と「花染町シリーズ」を読んだ後で、ようやくルイス・キャロルの凄さにも気づかされた。
偉大な数学者。人生の設計図の達人。

そこに「陰・陽」のネガ・ポジというスポットを、少女漫画家が巨大照明として灯火してくれたおかげで・・・なんというか・・・僕は自分がとんでもねぇナルシルトなんだなということに気づいてしまった。

知ってたよ。という友人は笑って読め。もしくは「お早くお帰り」
え、億ちゃんがまさかぁ、という友人は真実を知りなさい。僕も知って驚いた。

あと遺伝学の優性遺伝と劣性遺伝がよくわかっていない人は、優劣ではなく、表に現れているか、いないかだけの違いだとわかるので、読め。
くだらない文章だが、劣性を「劣る」と考えるような発想とは逆になる。
奇形も、表に現れている方が心配は少ない、裏に隠れている方が命の危険、寿命の心配は高いと、僕は猫学の師に教わった。


陰と陽を「鏡面」として捉えるときに、いちばんわかりやすいのは、鏡で自分ばかり眺めている「ナルシルト」

「ナルシスト」という言葉で連想するのは、鏡の前で、自分の髪型をずっと気にしていじってるような気色悪い男。ドライヤーの時間長そう。

恋人とデート中でもショーウィンドウに自分の姿が映ったら、すぐに髪、服、身につけている時計まで、自分で自分を愛して自己完結している人間。
端から眺めていても、恋人より自分だけを見ているのがバレバレな「わかりやすい」ナルシスト。
わかりやすくてポジティブなナルシルト。
遺伝学でいえば、表現型。表に優性遺伝として現れる「優性=ポジ」

反して、「鏡面」のナルシルトもいる。
これが僕だが、自分の姿形は、ほとんど気にしない。自分に優しくしてくれた人には優しく、自分に冷たい人間には冷たく
半沢直樹じゃないが、時に「倍返し」する。
だから親しい人とはより親密に、縁のない人には一瞥もくれず、平然と通り過ぎる。
コミュニケーション能力があるのか、ないのか「わかりにくい」
淡白なのか、粘着質なのかも「見分けにくい」
好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いだと、きっぱりサッパリしているようにも「見える」

だがつき合えば、つき合うほど、冷血人間なのか、世界一優しいヤツなのか、わからなくなる
あなたには優しくても他の人には冷たい あなたには冷たいのに他の人には優しい

すべてが「曖昧」

ファジーというトレンド用語を社内で説明するのに「億みたいなこと」と僕を指さし後輩に教えた上司を今、凄いと思う。
僕は当時ちっとも意味がわかってなかった。こんなに単純でわかりやすい人間、滅多にいないだろ、なんで俺が曖昧なの、と。

これが、ネガティブな表に表現型として現れない「劣性=ネガ」
遺伝学や病状ではポジ・ネガではなくホモ・ヘテロと書いたりするが、どちらも「陽・陰」の意味。

陽性であれば、見る人に「嘘」はつかない。
陰性であれば、見れば見るほど「嘘」が混じる。曖昧に見えてくる。

ナルシストとしては、どちらが「過激」なんでしょうね、と。
まぁ4−6行で済む文章と、長々と説明しないと見えにくい、この違い。
陽性ナルシルトは究極、自分しか愛せない・愛してないので、端迷惑で鬱陶しくても害は少なく感じる。
ボクちゃんとつき合えて幸せでしょう、君。と言われて、いや、全然っ不幸せよ、と思ったら別れればいい。
つまり究極のところ彼は「恋はしない」人とも言える。鏡の中に自分しかいない。

陰性ナルシストは、社会生活は「鏡面」でほぼ済ませるが、恋愛だけは別。
相手が自分を好きだろうと、嫌いだろうと、何とも思ってなかろうと、「恋」した時だけは自分が主体になって「鏡」に映る相手だけを掴みに行く。

誰にでもそこそこ退屈な日常を「鏡面」で見ている人間が、自分が(綺麗だ、美しい人)と感じる相手が「鏡」に映ったら、それはもぅ真剣になる。
ンマー鏡が「邪魔だっ」と叩き割るくらいのことは平気でする「恋愛至上主義」の正体ついに見たり。

恋愛のことは、恋愛と夢を売るプロの少女漫画家に聞いた方が早かった。
10年に一度のフルスロットルなショートカットで、自分を見つめ直す機会になっちまった。

侮るなかれ。プロフェッショナルのプロ意識を侮るなかれ。


東洋思想の「陰陽対極図」も、好きな図型だくらいにしか捉えてなかったが。

僕ぁほら祖父江慎さんに恋しちゃってるんで、漱石の「月が綺麗ですね」記事を書く予定でいた。
パトリシア・ハイスミスの「太陽がいっぱい」についても語る気でいた。

しかし漱石先生の「月が綺麗ですね」はアイラブユーの翻訳で、「陰陽対極図」を紐解けば女性にそのまま、あなたは綺麗ですね、と伝えているも同然。案外ストレートな表現ではないかとわかる。漱石先生はメタファーの天才。

映画「太陽と月に背いて」のシナリオ文庫本が、近所の書店で棚積みになっていて、その表紙を見て以来レオナルド・ディカプリオのファンだが、

「太陽と月に背いて」は、詩人のランボーと、ポール・ヴェルレーヌの物語で、これを長年かっこいいタイトルとだけ、なんとなく思っていた俺がまたバカだった。
「花に染む」で「陰陽太極図」のモチーフの意味をちゃんと知らなければ、一生気付かずにいたのかもと思うと呆然とした。

太陽と月は、すべて、であり、男と女。

ランボーは「反抗」が代名詞のような男なので、すべてに背いてーというタイトルは最高にオツだ、というほどふさわしく
さらにホモ・セクシャルの罪状で懲罰まで受けたランボーとヴェルレーヌの異性愛への反逆という意味まで内包してたんだ、とこんなきっかけで知ることができた。

原題は「Total Eclipse」=皆既食

西洋に「陰陽太極図」は浸透しているのかいないのか無知であるが、「太陽と月に背いて」という邦題をつけた翻訳者のセンスの良さに、もう何十年も経ってから感嘆。

こうして、少女漫画と向き合っているのか、ルイス・キャロルと向き合ったのか、漱石かディカプリオか、名も知らぬ翻訳者か、と僕の思考はまた無限のループを繰り返すが、一つだけ断ち切れた。

「少年は残酷な弓を射る」

中学時代に元級友を殺人事件で失った僕が、観た後で、病むほどに深く深く囚われ、愛した映画。
「花に染む」という作品の射手は、優しく暖かい弓を射ち続けて、だいぶ僕の心に巣食った闇も祓ってくれた。
プラスマイナスゼロに戻れるくらいに。

まぁ、エズラ・ミラーはバレリーナの息子でダンスが巧い。
踊り好きの踊る阿呆としては、フォークダンスよりエズラ・ダンスを採るけどさ。
プラスマイナスゼロ。
俺のトラウマはけっこう晴れて、爽快だ。

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